育児記録

我が子誕生

はじめまして。新米パパのかわさんです。

記念すべき初投稿は、我が子の誕生のことについて書かせていただければと思います。

慣れないブログに、慣れない子育てですが、自分のペースで更新していければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

破水!?

奥さんのお腹はだいぶ大きくなってきていて、お腹の子も順調に育ってきていました。

僕たちにとっては初めての妊娠であり、初産になります。

コロナ禍でしたけど、マタニティライフもそれなりに充実していました。

共働きの僕たちは、すでに奥さんは産休中。僕も無事に子どもが産まれたら、1ヶ月半ほどの育休を取らせていただく予定で、職場の方でも色々と調整をしていただいていました。

そんな予定日の1週間前。

通勤中に奥さんから

「破水…?したかもしれない」

と連絡がきました。

ちょうど職場に到着する頃だったので、職場の方々には事情を説明してすぐに自宅に帰ることになりました。

内心、僕はかなり動揺していて、これから家に向かうタイミングでもう一度奥さんに

「大丈夫!?」

と連絡をしたら、なんと奥さんは歯磨きをしながらの余裕がありました。

シャカシャカしながら「大丈夫だよー!」って。

「え?破水…って言ってたよな?俺の聞き間違い?なんでこんな余裕そうなの?」

とも思いましたが、破水といってもドバーッ!ではなく、チョロチョロ出てくるタイプとのことで、タクシー呼んで産院に向かうとのことでした。

拍子抜けしたのと同時に、さすがだなと思いました。

その瞬間、僕も冷静になれたのを覚えています。奥さんの方が冷静でした。

実は、破水した前日の夜に、陣痛がきても僕がテンパらないように対応リストを紙に書き出したばかりだったんですね。

破水した前日になんか胸騒ぎがするというか…落ち着かないというか…。

そんな気持ちで、陣痛がきても落ち着いて対応できるようにリスト表を作ったんですけど、今思えば、あの感覚が予兆だったのか…。

はたまた、我が子からのサインだったのかなとも思います。

長丁場

その日から奥さんは入院となりました。

コロナ禍であるため、面会制限もあり、僕は産院には入れずそのまま自宅へご帰宅になりました。

夫なのに…。めちゃくちゃ急いで産院に駆けつけたのに…。

こんなにもあっさりご帰宅命令が下るとは、なんだかやるせない気持ちになりました。

自分が次に産院に来れるのは、分娩のとき。

緊急事態宣言が解除されたので、出産の立ち合いが可能になったんです。立ち合い分娩が可能になっただけでも、とても有り難いことなんですけどね。

そして、その日の内診にて、子宮口は柔らかくはなってきているけど、陣痛がこないと赤ちゃんの頭が降りてこないからまだ遠いとのことで、このまま一日様子を見て、陣痛がこなければ翌日の朝から促進剤を投与していく方針となりました。

奥さんは、入院したら安心してお腹があまり痛くなくなったとのことで、お昼ご飯をたっぷり堪能していました。

とりあえず、元気そうで何より。お腹の赤ちゃんも、心拍は安定しているとのことで安心しました。

僕は、自宅にて可能な限り奥さんと連絡をとっていました。夜に陣痛が来る人が多いとのことで、いつ連絡がきてもすぐに向かえるように…と思うと全く寝れませんでした。もう気が張っちゃって、目もギンギンでしたね。

結局その日は、陣痛は来ず。翌日の朝から促進剤の投与が始まりました。

促進剤を入れるとズドーンと陣痛が来るらしいけど、子宮口がちゃんと開かないと赤ちゃんも羊水が減ってて苦しくなって、心拍が落ちやすくなるとのこと。

この時の奥さんの子宮口は3cm。促進剤だけ少しずつ入れていき、今日のお産を目指しましょう!とのことでした。

僕も仕事をお休みさせていただき、自宅で待機。面会できずに自宅での待機は僕にとっても、奥さんにとっても本当に辛いものでした。

しかし…。

この日は、陣痛はきてもお産にはつながらず…。

子宮口も6cmくらいまでにはなってきていたとのことですが、明日に仕切り直しとなってしまいました…。お腹の子は元気で、感染兆候もないため、普通分娩の方向でいくとのことでした。

体力的にも精神的にも辛い状態だったのは、当然奥さんでした。

「もう限界…。この痛みと不安から解放されたい気持ちが強すぎる…。帝王切開にしたい。」

と電話の向こうで泣きながらそう訴える奥さんの言葉は、とても重く辛いものでした。

産むのも、痛みと闘うのも奥さんであって、僕ではないので「痛みを乗り越えて普通分娩で頑張っていこうよ!」とも軽々しく言えないですからね。

ただ、帝王切開は切った後の創部の痛みがとても辛いとは聞いていたので、そこは心配ではありました。

正直、僕としては、お腹の子が無事に産まれて、奥さんの体への負担をなるべく最小限に抑えられる安全な方法であれば、何も言うことはありませんでした。

電話でしか支えられない自分の無力さ。

奥さんがこんなにも1人で頑張っているのに、側に居てあげられないもどかしさ。

今までで一番コロナウイルスを強く恨んだ日でした。

ついにご対面!

その翌日の朝。

「午前中促進剤。耐えられなければ午後帝王切開となった。」

とLINEで奥さんから絵文字なしで送られてきました。

このとき僕は…

「あぁ、これはもう奥さんの精神状態はかなり絶望的なんだな」

と察しました。

その後、連絡が途絶えてしまい、再びお昼頃になって

「日中のうちに産まれなければ帝王切開にのびました」

とLINEで奥さんから絵文字なしで送られてきました。

このとき僕は…

「あぁ、先生はきっと、このまま普通分娩で乗り切るつもりなんだな」

と察しました。

そこから1時間ほど経ってから電話が鳴り、もうすぐ産まれそうなので産院に来てくださいとの連絡が!!

僕はすぐに産院へ向かい、着くなり同意書に記入し、感染予防対策をして万全の状態で分娩室へ!!

その中では、奥さんが一生懸命頑張っていました。

あんなにも帝王切開にしたいと弱音を吐いていたのに、しっかり普通分娩で乗り切ろうとしているその逞しい姿を見て、涙腺が崩壊しそうになりましたが、必死に堪えました。

そしてついに!!

大きな産声とともに、令和3年10月7日午後2時43分、身長49cm、体重3120gの元気な男の子が産まれました!!

僕は、感動して泣いてしまいました。出産に立ち会えて本当によかったと思っています。

僕の誕生日と1日違いなので、最高の誕生日プレゼントになりました。

午前中からずっと分娩室に居たとのことで、本当に奥さんもお腹の子もよく頑張ってくれました。

奥さんには感謝しかありません。

出産後、奥さんが食べたいと言っていたお寿司をご馳走することを約束しました。

まだ会えない・・・

出産後も面会はできず…。

僕は、奥さんから送られてくる子どもの写メや動画を1人寂しく観ていました。

さぁ、もうすぐ退院!

動画じゃなくて、ちゃんと我が子に会えるぞ!と思っていた矢先…。

黄疸に引っかかってしまい、退院がお見送りに…。

「我が子よぉーーー!!!」

という絶望的な気持ちになりましたが、それよりも何よりも心配!!!

「会えるのが遠のいたのはめちゃくちゃ寂しいけど、え?黄疸?大丈夫なの?」

という不安な気持ちの方が強かったですね。

その日から光線療法という黄疸を治すための治療が開始。

黄疸について調べてみると…

「新生児黄疸はかなりの確率で現れるし、そのほとんどは生理的現象なので心配ないですよ」

と書かれているものもあれば

「閉塞性黄疸は気をつけなければいけない」

などと書かれているものもあって、不安な気持ちはありました。

でもなぜか、きっと我が子なら大丈夫だろうという根拠のない自信がありました。

我が子は小さな体で頑張ってますからね!親が信じてあげなきゃですよね!

それにしても早く会いたい…。